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服飾研究家白鳥博康氏の男のきもの研究手帳
第1回 365日着物生活のきっかけ

白鳥「みなさん初めまして。服飾研究家の白鳥です。
 橘川さんとの不思議なご縁でこちらのHPに私の着物ライフに関する連載をさせていただくことになりました。ごく私的な情報ではありますが、お役に立てば幸いです。よろしくお願いします。」

橘川「男性で、365日着物だけを着ている方はとても珍しいですですよね、ごくまれにほぼ365日着物を着ているという方のお話しも聞きます。
 でもそのような方は、仕事でどうしても洋服を着るという事があるので、家に帰ってから、着物に着替えるのでそれで、365日の着物の生活という事も聞きました。
 ところが、白鳥さんは一年中きものだけの生活をされているんですよね。
 私もこのような話は聞いたことがありませんでしたが、ここで白鳥さんに1つ質問したいと思います。
 本当に洋服はまったく持っていないんですか?」

白鳥「持っていないですね。細かくいえば、下着など洋服用のシャツを着ることはありますし着物の下にタートルネックシャツを着ることもあります。
 でもズボンを持っていないのでいわゆる洋服姿にはなれませんね。」

橘川「へ〜、そうですか。これは驚きです!!
 ズボンを持っていないのでは、完全に着物だけの生活ということになってしまいますね!
 ますます白鳥さんに興味がわいてきました(笑)
 365日着物生活のきっかけというのは、あるのですか?もしあればぜひ教えてください。」

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着物を着るようになったきっかけ、というのは人それぞれ異なっていることと思う。
私の場合、洋服よりも着物の方が体と心にぴったりしていた、というごくシンプルな理由から着物生活を始めた。
なぜ着物だったのか?
これは単純に、身近に着物があったという、きわめて幸運な状況がそうさせたのかもしれないし、理屈ではなく本能、DNAが着物を求めていたからかもしれない。
私は、子供の頃から洋服、特にズボン、靴下、靴を身につけることが好きではなかった。
ズボンは窮屈袋(もちろん当時こんな言葉は知らなかったが)以外の何者でもなかったし、履くと足がもぞもぞする靴下には閉口した。
靴は、甲高幅広で汗っかきの私の足を密閉してしまい、冬場はまだしも、季節が暖かくなってくると、靴の中がムレてしまいとても耐えられなかった。

祖父俊一の着物姿 初めて(意識して)着物に袖を通したのは3歳の頃。
洋服を着たがらなかった私の最大の理解者は、自身も着道楽の祖母だった。
「パンツ一丁でいるよりは……」と、子ども用の着物を用意しておいてくれたようだ。
初めて着せられた着物は、上げのついた紺色ウール絣に、兵児帯。履物は、兜の絵が描かれた青いのめりの下駄。
洋服とはまったく違う着心地のよさに、私はすっかり魅了されてしまった。
この当時、着物を着ることに対しての抵抗はまったくなかった。
いっしょに暮らしていた曽祖父は、よく着物を着ていたし、祖父も仕事が終わると着物を着ていたので、私にとって着物はとても身近な存在だったように思う。
またこの時期、祖父といっしょに見ていた時代劇の着物姿にも、大きな衝撃を受けた。
画面に登場する侍たちの羽織袴や裃姿は、私の目に何よりも格好よく映り、まさに「ほれぼれと……」してしまった。
侍への憧れが高じて、祖母に「裃と笠を作って」というと、大きなハトロン紙で見事にこしらえてくれた。
プラスチックの脇差を腰に差して、テレビで見たばかりの大岡裁きや、金さんの桜吹雪の真似をするのが当時一番好きな遊びだったように思う。
結果、戦隊ヒーローよりも大岡越前が好きな、なんとも渋好みの幼稚園児ができあがってしまったのだが。


それはともかく、成長するにしたがって、私にも人並みに恥ずかしいという感情が芽生えてきて、「一人だけ着物を着ているのは恥ずかしい……」などと、感じ始めてしまった。
それからしばらくの間、着物を着て外へ出るということはなくなり、家の中だけで着る日々が続く。
ただ、お正月だけは着物を着て堂々と外へ出ることができたので、「一年の半分が正月になってしまえばいい」と、本気で考えたこともある。
この間も洋服の着心地に慣れる、ということはなかったので、まさか下着姿のまま出歩くわけにもいかず、本当に悶々とした日々を過ごしていた(ちなみに、トランクスも嫌いだったので、学校に通う制服の下はいつも褌だった)。


曽祖父正雄の着物姿 私の着物生活に転機がおとずれたのは15歳の時。
押入れの中の段ボール箱に、曽祖父の形見の着物が大量に眠っていたのを発見した。
この時の感動は、今でも忘れることができない。
たくさんの着物を見つけた喜びよりも、「ひいお祖父ちゃんにもう一度会うことができた」そんな気持がこみ上げてきてしまった。
箱の中には見覚えのある着物もあり、「これはひいお祖父ちゃんが散歩の時に着ていた着物。これを着たひいお祖父ちゃんといっしょに遠くまで歩いていったっけ……」「ひいお祖父ちゃんが風呂上りに着ていた着物だな……」とりだした着物の一枚一枚がなつかしく、嬉しかった。
私の名付け親でもある曽祖父正雄にとって、私は初めてのひ孫だったので、可愛さも一入だったのだろう。
よく方々へ連れて行ってもらった。
曽祖父と過ごした時間は決して長くはなかったが、その分濃密な、幸せだった記憶が、は
っきりと思い出されてきた。
着物に限ったことではないけれど、モノには時間を超越して伝えられる思いがあるのだと、その時初めて感じた。
大きな段ボール箱2つ分の中身は、ウールから紋付、夏物まで入っていて、奇跡的に保存状態もよかった。
成長した私と、曽祖父の体つきが似ていたせいか、ほとんどの着物は仕立て直さずに着ることができたことも幸運だった。
どうしても寸法が合わない着物を仕立て直そうと、和裁を学んだこともある。
「これならば着物に困ることはない。いっそ衣服はすべて着物にしてしまおう」そう思ったのも自然の成り行きといえるだろう。
着物を着ていられることに比べたら、「恥ずかしい」なんて感覚は、まことにささいな問題に思えてきた。
それからというもの、朝起きたら顔を洗うように、のどが渇いたら水を飲むように、着物を着て生活している。
形見の着物を着る度に、曽祖父に会えるような気がして、気持がほっと安心もし、勇気づけられもする。
だからというわけではないけれど、大事な式典や、折々の儀式には、必ず曽祖父の着物を着るようにしている。
結婚して腹回りに大分貫禄がついてしまった今でも、かろうじて形見の着物を着ることができる。
曽祖父の着物を着ることが「メタボリックシンドローム」の予防になるなどと、10年以上前の私には想像もつかなかった。

 

著者プロフィール

白鳥博康(しらとり ひろやす) 東京都出身

365日着物で暮らす物書き。
著書に『夏の日』(銀の鈴社)『ゴムの木とクジラ』(銀の鈴社)。
服飾に関する共著に『演歌の明治ン大正テキヤ フレーズ名人・添田唖蝉坊作品と社会』(社会評論社)がある。



オフィシャルサイト 天球儀
http://kujiratokani.web.fc2.com/

 



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