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服飾研究家白鳥博康氏の男のきもの研究手帳
第2回 着物姿の紳士たち
白鳥博康氏の春の装い

最近、街で着物姿の男性を見かけることが、以前にまして多くなった気がする。
先日、江戸時代の小袖を集めた美術展へ行ったときのこと。
ビニールレザーのような袴や、洋服調の柄行の長羽織を身につけた、現代的な装いの着物紳士、およそ10人とすれ違った。
着物着用率が高かったのは、催し自体が着物関連だったからだろう。
それにしても、私が本格的に着物を着始めた頃からは、想像できない人数だった。
10年以上前に、同じ催しがあったとして、着物を着た男性が、これだけの人数集まっただろうか。

私はこれまでに、着物姿の男性を大勢目にしてきた。
しかし、どうしても忘れることができない、初老の紳士が二人いる。
ただ、彼らとは街ですれちがっただけなので、名前すら知らない。
痩躯の二人の着物姿は、10年以上たった今でも、私のまぶたに焼きついているほど「決まって」いた
(恰幅がよいと着物が似合う、というのはウソだと思う)。

一人目の紳士を見かけたのは、今からおよそ15年ほど前のこと。冬の羽田空港、出発ロビーに、彼は座っていた。その紳士は、濃紺のウールと思われるお対に、黒の兵児帯。平織の羽織紐は、駒結びにして長く垂らしている。足元は、はきこんだ黒繻子の足袋に、歯のすり減った駒下駄。裾と袖口から、下着のラクダがちらりとのぞく。
そして、手にしたステッキの方へ体をくの字に曲げて、文庫本を読みふけっていた。
その姿から「学者か作家ではないだろうか……」などと想像してみたが、話しかけたわけでもないので、よくわからない。
一見だらしないような着姿も、着物が「板についている」ため、一種の風格すら感じられた。
西洋近代文明の象徴ともいえる飛行場に、前時代的な装いの老人。このコントラストは、あまりにも印象的だった。

夏が近づくと、羽織袴の紳士を思い出す。
彼を見かけたのは、たしか10年前の、うだるような8月の午後。
横須賀線逗子駅の上り線ホームにあるベンチに深く腰掛け、衿をくつろげて扇子で風を送っていた。
その「しぐさ」は、鏑木清方描く日本画の世界から、そのまま抜け出してきたようだった。
利休鼠の着物に、焦げ茶の羽織。鉄色の袴をつけて、足元は白足袋に雪駄と、ヨソ行きの拵え。
着物も袴もすべて紗だったので、透けて見える長襦袢の白が、いかにも涼しげだ。
ウス物を着た男性を見たのはこの時が初めてだったので、襦袢と着物と羽織が折り重なってできる紗のモアレに、一瞬見とれてしまった。
彼が身につけている着物一式は真新しいものではなく、着ている本人と同じくらい年季が入っている。
そんな着物姿には、どことなく重みがあった。それに、夏物の着物だけれど、まったく垢じみていない。
きちんと手入れをしているのだな、と感心してしまった。

隣にちょこなんと座っている奥方と思しき女性も、濃紺の紗の着物。
菓子折り程度の大きさの風呂敷包みを手に、じっと電車を待っていた。
夫婦二人で、改まってどこかを訪問するのだろうか。
真夏の羽織袴に、こちらまで気の引締まる思いがした。

打ち合わせ時の持ち物 なぜ、二人の着物姿は印象的だったのだろうか。
二人の姿を思い出していて、なんとなく感じたことがある。
彼らの着物姿には、それぞれの人柄、生活感がにじみでていて、それが着物姿を一層魅力的なものとしていることに気がついた。
着物の魅力は、着手の人柄が、着物姿にそのまま顕れることにあると思う。
真面目な人は真面目な着姿に、ちょっと抜けているような人は、やはりそれが着物姿に顕れてしまう。
特に、着物が日常着だった頃の写真を見ると、着手の個性を強く感じることがある。
だが、これは悪いことではない。
隠そうとしてもにじみでてしまう個性が、着物姿のスパイスとなり、アジとなる。
同じ着物を着たとしても、十人いれば、十通りの着姿があるはずで、それは良いとか悪いとかの問題ではない。

不思議なことに洋服、特にスーツだと、こうはいかない。
スーツに体を押し込みさえすれば、誰でもある程度体裁のいい着姿になる、いや、ならなければいけない。
着れば誰でもサマになる。
これは現在のスーツの先祖が、軍服であったことに由来するのかもしれない。

着物を着ると、心が裸になってしまったような気がする。
そう感じる時がある。
ひょっとすると、男性が着物を着なくなった理由は、生活様式の変化などではなく、自身のパーソナリティを曝けだしてしまう、着物の特性にあったのではないだろうか。

そんなことを考えながら、今日も帯を締めた。

 

著者プロフィール

白鳥博康(しらとり ひろやす) 東京都出身

365日着物で暮らす物書き。
著書に『夏の日』(銀の鈴社)『ゴムの木とクジラ』(銀の鈴社)。
服飾に関する共著に『演歌の明治ン大正テキヤ フレーズ名人・添田唖蝉坊作品と社会』(社会評論社)がある。



オフィシャルサイト 天球儀
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